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誰のためのデザイン? 誰のための貼り紙?

野島久雄. (2003). 誰のためのデザイン? 誰のための貼り紙? InterCommunication, 12(1), 71-79.


 ■ あまねく偏在する貼り紙からノーマンを考える

 「押す」いう紙が貼られたドア、「切符は重ねて入れないでください」というシールが貼られた自動改札機、「開閉方向逆」というラベルのあるお湯の水栓。
 ドナルド・A・ノーマンが「誰のためのデザイン」の中で強く主張したことを思い出してみよう。デザイナーがやるべきことはこのようなラベルがなくてもユーザが迷わないですむデザインをしようということだったはずだ。

 ノーマンの「誰のためのデザイン」(原著1988年、日本語訳1990年)、そしてその後の一連の著作は、日本ではインタフェースの研究者やデザインの分野の方々から高く評価され、毎年ほぼ変わることなく安定して売れている(Norman, 1988, 1990b)。同書が変化の激しいコンピュータやハイテク機器に関する著作であることを考えると、この長期間にわたる安定した売行きは驚くべきものである。日本語訳が出てから10年を過ぎ、ノーマンの主張は広く知られるようになった。「誰のためのデザイン」とその続編を相次いで出版し、それによって、ヒューマンインタフェース、情報デザイン、プロダクトデザイン、さらには建築に至るまで幅広い範囲に影響を及ぼしてきた(Norman, 1993, 1996, 2000)。アフォーダンスという言葉は頻繁に聞かれるようになり、家電製品をデザインする人も、WWWページを作成する人も、建築の分野の人にも、機能本位がよくないこと、ユーザにわかりやすいデザインが重要であることは理解されつつある。
 「誰のためのデザイン」は売れ、ノーマンの主張は広く受け入れられ・・・・しかし、町の中の貼り紙は相変わらずである。いやむしろ増えていると言った方がよい。
 ノーマンが、「ユーザ中心のシステム設計」(Norman & Draper, 1986)をひっさげて、1980年代初頭からのカリフォルニア大学サンディエゴ校において彼自身を中心として進めてきた認知工学の成果を公にして以来、ほぼ四半世紀がたった現在、ノーマン自身の立脚点の変化(大学教授から企業人を経て、コンサルタント業)、主張の若干の変化、受け止められ方の変化(アフォーダンス概念の受容)などについてのもう一度検討が必要な時期になってきたのではないだろうか。


■ ノーマンのアフォーダンスとは何だったのか

 アフォーダンスの概念がノーマンの著作の中に陽に現れたのは、「誰のためのデザイン?」においてである。


   アフォーダンス(affordance)ということばは、事物の知覚された特徴あるいは現
   実の特徴、とりわけ、そのものをどのように使うことができるかを決定する最も
   基礎的な特徴の意味で使われる(Norman, 1988)(邦訳, p.14より)。

 ここで、ノーマンは注記として(邦訳 p.361)、

   アフォーダンスの概念とその概念から生まれた洞察は、もともとはJ・J・ギブソ
   ンによるものである。・・・私の考えでは、アフォーダンスは事物を心理的に解
   釈することから生じるものであり、その解釈は私たちの周りの事物を知覚する差
   異に使われた過去の知識や経験にもとづいたものである。私のこの見解は、多く
   のギブソン派の心理学者の見解とは少し食い違っている。

のように述べている。この説明にしたがえば、アフォーダンスとは、その人にとっては外界の事物に書き込まれた説明書のような働きをするものとなる。実際、「アフォーダンスは物をどう取り扱ったらよいかについての強力な手がかりを提供してくれる。ドアの押し板は押すためのもので、ノブは回すためのものだった。(邦訳 p.16)」と説明される。この環境側にアサインされ、知識や過去経験によって解釈された情報という考え方は、ギブソンが述べている「動物に相対的な環境の特性であるという意味でそれは生態的である(Gibson, 1992)」とは大きく異なるものである。このノーマンのアフォーダンスを分散認知の枠組の中で捉える考え方に対して、ギブソン派の心理学者(たとえば、リード)などによる批判もある。(Reed, 2000)
 ノーマンのアフォーダンス概念は、ノーマンが勤務していたUCSDにギブソンが滞在していた時に議論をしながら、触発されたものであるという(Norman, 1999)。ノーマンは、最初はアフォーダンスという概念自体にも納得ができなかったし、ギブソンの知覚心理学の根本的な概念には最後まで同意できなかったと述べている。
 このノーマンのアフォーダンス理解は、それ以前の (1) インタフェースの可視化(動きが見えるようにすることによってメンタルモデルの形成がしやすくなる)と (2) 社会的分散認知の考え方につながるものであり、ギブソンのそれとはまったく異なるところから生まれたものである。ノーマンは、「誰のためのデザイン」が新装本として出版されるときに(Norman, 1990a)、「アフォーダンス」を「知覚されたアフォーダンス (perceived affordance)」と言い換えるともに、「誰のためのデザイン?」についても、アフォーダンスとあるところをすべて「知覚されたアフォーダンス」と読み替えれば議論の妥当性は変らないと述べている(Norman, 1999)。

■ ノーマンのアフォーダンス論は正しく理解されたのか

 それでは、アフォーダンスの概念は、とりわけデザインコミュニティに、なぜこれほど広く受け入れられたのだろうか。その理由は、ノーマンが「アフォーダンス概念が誤解された例」としてあげるものから推測することができる。それによれば、インタフェースデザイナーのコミュニティでは、アフォーダンスは「アイコンを使うことによってアフォーダンスを付加した」とか、「こちらのインタフェースの方がアフォーダンスがよい」のように使われたという。これらは、ノーマンによればアフォーダンスという言葉の誤用である。このように誤解して受けとめられたからこそアフォーダンスが広まったのだろう。
 このような誤用が起った原因としては、(1) アフォーダンスが、インタフェースの良し悪しを語るための客観的な指標として利用できると誤解されたためと、(2) デザインを行うときには、「それが何をアフォードしているかを明確に意識した上でデザインをするべきである」(e.g.「日経デザイン、2000年12月号「用語解説: アフォーダンス」)と理解されたためだろう。(1)については、「こちらのデザインの方がそちらのよりも良い」というときに、それが単なる主観的な評価ではなく客観的な評価として言うことができ、(2)では、主観的なデザインではなく対象に即し、対象のあり方に依存したデザインプロセスの可能性が示唆されたと受け止められたからである。
 しかしながら、ノーマンによれば、そうした受け止め方は誤解であり、デザイナーはデザインによってものにアフォーダンスを付加することはできない。たとえば、平らなディスプレイの表面は押すことをアフォードする。これは正しい意味でのアフォーダンス(real affordance)である。しかし、インタフェースの世界では、ディスプレイ画面がタッチパネルになっていない限りディスプレイ表面を押しても意味はない。インタフェースデザイナがアイコンデザインを工夫することによって、そこがクリックできるとユーザにわかりやすくできたとしても、そこに「アフォーダンスを付加した」と言うのは、誤用である。なぜならば、ユーザはそのアイコン以外のスクリーン領域をクリックすることもできるし、実際にクリックするからである。ある形態のデザインを使うことによってユーザがそこはクリックできると理解できるのは、そのものの持つアフォーダンスによるのではなく、そうした場面で使われる慣習を理解しているからに過ぎないのである(Norman, 1999)。
 したがって、もの自体が持つ性質であるアフォーダンス (true affordance)と、人が知覚するアフォーダンス (perceived affordance)、ものの物理的あるいは論理的な制約 (constraints)、文化的社会的な慣習 (conventions)の違いを理解し、わかりやすいデザインをすることが重要であると述べている。


■ 変化するノーマン
 ノーマンは、ほぼ10年ごとに研究の方向を大きく変えている。そして、そのそれぞれの分野で大きな足跡を残しているのである。
 1970年代: 認知心理学分野における記憶と注意の研究
 1980年代: ヒューマンエラーやインタフェースの認知心理学・情報処理モデルに基づく理論的な分析
 1990年代: インタフェースデザインの実践的な分野
 1990年代のノーマンは、「誰のためのデザイン」によって広く受け入れられるとともに、大学から飛び出してアップル社という製造業に身を置くことになる。しかしながら、彼が目指した現実の場での認知工学の適用は必ずしもうまくいかなかった(Norman, 1998)。そして、2000年以降、ノーマンの主張に新たな展開が見られる。それは、デザインプロセスにおけるビジネスの側面を考慮することの重要性と道具を利用する場面におけるユーザの感情の重要性に関するものである(Anderson, Norman, & Rohn, 2000; Norman, 2002)。すなわち、「使いやすさを現実の製品で実現するためには、すでに売られている品物への配慮、コストの考慮は欠かせない」ということであり(Norman, 1998)、「道具には美しさや快適さが必要である」ということである。これは、使いやすさこそを第一義的に考えるべきであるというこれまでの主張に反するものである(と受け取られるだろうとノーマン自身も述べている)(Norman, 2002)。
 しかし、これらの異なる分野も大きく見れば一つの枠組みで見ることができる。それは、外的資源が人の問題解決に及ぼす効果の検討である。認知心理学がともすれば人の内的な情報過程にのみ研究を集中させていたとき、ノーマンは外部記憶(メモなど)、外からの割り込み、複数の内外のプロセスの相互干渉などについての研究を行っていた。また、アフォーダンスも彼にとっては人が利用可能な外部の情報に他ならない。

■ ノーマンと貼り紙:貼り紙はなぜなくならないのか


 筆者はノーマンの主張に深く同意している。アフォーダンスの重要性、使いやすさを優先したデザインの重要性、さらには美しいのみならず使って楽しい道具が重要であることにも異論はない。しかし、一つだけ気にかかることがある。それが貼り紙である(野島久雄 & 新垣紀子, 2002)。
 ノーマンによれば、道具に貼られた貼り紙はデザイナーがその道具のデザインを誤った(道具の持つアフォーダンスを適切に利用できなかった)ということの明らかな証拠であるとされる。さらに貼り紙は多くの場合美しくない。その様に考えると、貼り紙は明らかな使いにくさの証拠であり、デザインの失敗の証拠なのだ。
 それにもかかわらず、筆者は、貼り紙には心引かれるものを感じる。一例をあげよう。これはあるコピー機の給紙部分の取っ手に貼られた貼り紙である。この貼り紙は、ここを開けるためにはただ引っ張るだけではだめで、ボタンを押してからしばらく待つことが必要であることを教えてくれている。
 ここでこの貼り紙が伝えているのは、ノーマン的に解釈すれば、コピー機の給紙部分のデザインが悪く、ユーザがいつでもつっかえてしまうというデザインの問題点が存在するということである。しかし、当然のことながら、この貼り紙はまた、ここでのトラブルを乗り越えるための情報も提供しているのである(そのための貼り紙であるのだから)。そのように考えると、この貼り紙はデザイナの不十分なデザインを補完する役割をしているということ、すなわち、デザイナとユーザの協同が行われている現場であると見ることもできるのである。また、貼り紙を貼る人は、その場で将来困難に陥るはずの誰かに向けてのコミュニケーションも行っていると考えることもできる。

■ 貼り紙学とその学び


 もちろん、町に出てみればすぐわかるように、自動販売機、さまざまなドア、通路、棚などに貼りまくられた(!)貼り紙の存在を「デザイナとユーザのうるわしい協同の例、ユーザ間のコミュニケーションの例」とすましているわけには行かないだろう。貼り紙は多すぎ、無作法すぎ、醜すぎるからだ。しかし、これは「貼り紙」の技術がまだ多くの人に学ばれていないからである。ここで「貼り紙学」のような学問を考えるとしたら、以下のようなものがその一部となるはずだ。
 ・マーケット論:誰に向けて個々の貼り紙は貼られるのか、誰が受け手か。
 ・社会学:貼り手と受け手の間にどのような共同関係があるのか
 ・心理学:どのようなメッセージがその場で有効か
 ・工学:貼り紙を実現するハードウェアは何がよいか

 残念ながら、多くの人は以上のような貼り紙学をまだ身につけていない。また、貼り紙工学もまだ未成熟である。明らかにテプラのようなラベルライターの普及は町の中の貼り紙を一見きれいにし、またその数を増殖させた。汚い手書きでなら貼るのをためらう人でもテプラでならば見栄えもよいと考えるのだろう。しかし、工学的にはさらに進んだ「電子的な貼り紙」も可能なはずだ。たとえば、必要なユーザにのみ情報が提示できる電子的な貼り紙は現状の技術だけでも実現可能である。
 今後の教育の中には以上のような貼り紙学の教育も含まれるべきだ。なぜなら、WWWの普及の状況から明らかなように、今ではごく一般の(デザインに関する基礎的な教育も受けていないような)人たちもページをデザインしてそれを公開する。それと同じように、私たちは自分自身のために、他の困っている人を助けるという善意のために、不十分なシステムデザインを補うために、今後とも身の回りのもの、町の中のものに貼り紙をはるだろうからだ。
 これまで専門家だけの手によって作られて来たデザインプロセスにユーザの観点を導入し、なによりもまず使いやすさを第一に置くべきであるというのがノーマンの90年代の主張だった。しかしながら、これではユーザはあくまでもユーザに留まることになる。近年のノーマンの主張である「美しいデザイン、快適なデザイン」は、もう一度デザインをプロフェッショナルの手に渡してしまうことになりかねない。
 貼り紙の事例が教えてくれるのは、ユーザがすでに道具のデザインを行う側にいるということである。なぜならば、先のコピー機の事例でもわかるように、そのコピー機のユーザは、そこに貼られた貼り紙(もう貼られて2年以上になる)を含めて利用している。もはやこの貼り紙はコピー機の一部である。しかしながら、上に述べたように、ユーザは必ずしもよきデザイナであるとは限らない。「ユーザが参加するデザイン」というのは、今ではごく普通に主張されるデザインの方法論であるが、貼り紙という「悪い」メディアを通してではあるが、すでにユーザの参加は実現されているのである。

■ 外的資源としてのアフォーダンス、外的資源としての貼り紙


 貼り紙は私たちの問題解決のために役立つ外的資源のひとつであるが、その内のもっとも不作法なものといえる。美しくもないし、必要ない人にも見せている。メッセージも必ずしも適当ではない。表示手段の選択も適切でなく読めないことすらある。
 おそらくはその貼り紙でいいたいことをエレガントに道具の機能、素材の特徴、形態の制約などを利用することによって美しく快適な形にまとめるのが本来のデザイナの仕事なのだろう。ノーマンが90年代に果たした仕事は、外的資源という言葉を使うことなく、人が外的資源を利用して問題解決を行っていることを「アフォーダンス」概念を普及することによって示したことだ。ノーマンがこれからやろうとしているのは、外的資源を快適に美しくすることらしい。確かに私たちの生活の質を向上させるためにはそれは重要なことである。しかし私たちユーザ側が、未来の自分(もう一度使うときのためのメモ)、困るかもしれない他者のために貼り紙という形で外部に情報を残し、他者を手助けし、そして、道具のデザインの最終フェーズでの仕上げを行っていること・・それも、何も学ばずに行っていること・・を忘れてはいけないだろう。

【追記】Normanとアフォーダンスに関する議論については一部(野島久雄 & 新垣紀子, 2001)の議論にもとづいている。

■■ 参考文献

   ・Anderson, R., Norman, D. A., & Rohn, J. (2000). Organizational limits to HCI: conversations with Don Norman and Janice Rohn. interactions, 7(3), 36-60.
   ・Gibson, J. J. (1992). アフォーダンスについての覚え書き (山上暁訳).In 安西祐一郎 & 石崎俊 & 大津由紀雄 & 波多野誼余夫 & 溝口文雄(Eds.), 認
知科学ハンドブック (pp. 629-639). 東京: 共立出版.
   ・野島久雄, & 新垣紀子. (2001). Donald A. Normanに見る認知科学のこれまで: 日本におけるNormanの受容と影響を手がかりにして. 認知科学, 8(3), 275-286.
   ・野島久雄, & 新垣紀子. (2002). 問題解決における外的資源の役割: 協同的なデザインプロセスとして見る「貼り紙」. デザイン学研究特集号, 9(3), 7-13.
   ・Norman, D. A. (1988). The Psychology of Everyday Things. New York,NY:  Basic Books.
   ・Norman, D. A. (1990a). The design of everyday things. New York, NY:  Doubleday.
   ・Norman, D. A. (1990b). 誰のためのデザイン? 認知心理学者のデザイン原論 (野島久雄訳). 東京: 新曜社.
   ・Norman, D. A. (1993). テクノロジー・ウォッチング: ハイテク社会をフィールドワークする (佐伯胖(監訳) & 岡本明 & 八木大彦 & 藤田克彦 & 嶋田敦
夫訳). 東京: 新曜社.
   ・Norman, D. A. (1996). 人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学 (佐伯胖(監訳) & 岡本明 & 八木大彦 & 藤田克彦 & 嶋田敦夫訳). 東京: 新
曜社.
   ・Norman, D. A. (1998). 現場でのデザイン (瀧口範子訳). In T. Winograd (Ed.), ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ (pp. 223-241). 東京: アジソン・ウェスレイ.
   ・Norman, D. A. (1999). Affordance, Conventions, and Design. Interactions, 6(May-June), 38-43.
   ・Norman, D. A. (2000). パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!: 複雑さに別れを告げ、情報アプライアンスへ (岡本明 & 安村通晃 & 伊賀聡一郎訳).東京: 新曜社.
   ・Norman, D. A. (2002). Emotion and Design. interactions, 9(4), 36-42.
   ・Norman, D. A., & Draper, S. W.(Eds.). (1986). User Centered System Design: New Perspectives on Human-Computer Interaction . Hillsdale, New Jersey: Lawrence Erlbaum Associates.
   ・Reed, E. S. (2000). アフォーダンスの心理学: 生態心理学への道 (細田直哉(訳)佐々木正人(監修)). 東京: 新曜社.

朝日新聞の連載:人と物の心理学

朝日新聞の連載:人と物の心理学

 2008年1月から3月にかけて、朝日新聞に12回の連載記事を書きました。「人と物の心理学」という何でも書けそうなタイトルでした。基本は、私たちの知識・行動が外部からの情報によって様々に影響されているということをいろいろな方向から述べるということを目指しました。

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